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 武術関係を中心に大好きな古い写真(老照片)を紹介していきます。写真中の御本人、もしくは御家族の方、肖像権をお持ちの方等で、ここでの掲載を止めて欲しいと言う要望がございましたら、至急管理人までお知らせ下さい。詳しくは私のHP『武藝大世界』をご覧下さい。(http://yunyou.web.fc2.com/home.html)             文責はすべて片桐個人に帰します。またこのページへの無断リンクはお断りいたします。 開館2007年1月15日
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通臂門の張策公と同一視され、間違われることの多かった方です。
私の尊敬する大先輩、武田煕公も記憶違いをされていました。
本門は三皇門と言われていますが、本来は門を隠しておられたそうです。
ちなみに三皇門と三皇砲錘門はまったく関係が無いです。


通りすがりのもの様より御情報いただきました。
『張家門』の名称を追加いたしました。
通りすがりのもの様、ありがとうございました!
at 2007.02.26

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無題
張大師の拳は張家拳といわれるようです。十年以上前、この方のお孫さんの弟子か゛来日して、教えていらしたようですが、雑誌「武術」に掲載依頼するも、門前払いされ、怒って帰国されたようです。もったいない。無知は罪です。
通りすがりのもの 2007/02/04(Sun)03:03:50 編集
無題
書き込み、情報共にありがとうございます!
それは本当にもったいないですね~!ただ雑誌社の方の気持ちも何となくわかります。十年以上前といえば、日本での人気拳種の情報が洪水のように大陸からもたらされた頃ですよね。マニアック過ぎる武術は紹介が難しかったのでしょうね。張家拳の名称は張大師以降、現代の呼び名ですね。確か張大師には三名の先達が居られ、それぞれの方が緑林の英雄だったと聞いたように思います。師の身分の関係で門の名は世に伏せられたとか。張大師は、緑林からの輩分、卓越した功夫で首都北京で地位を確実にされたと聞きます。張大師の数々のエピソードは私の大のお気に入りです。
 そういえば中国の雑誌に紹介された張家拳の套路に八極拳がありましたね。確か「記拳」でしたでしょうか。人前で練習するときはこれでごまかせと書いてあったような(笑)。
katagiri 2007/02/05(Mon)22:37:24 編集
はじめまして
多くの武術家の写真が掲載されていて、すごいですね。初めて写真を見る武術家もいてうれしいかぎりです。

ちょっと質問したいのですが以前、新人物往来社から出版されていた景嘉著の「酔鬼 張三伝」という本に書かれている張三がこの張長禎のことなのでしょうか?「酔鬼 張三」といわれていた武術家が当時の北京で二人いたということになるのでしょうか?もしご存知であれば教えてください。
Tree 2008/04/14(Mon)01:10:55 編集
はじめまして!
Tree様

書き込みありがとうございます!

新人物往来社の『酔鬼張三』は間違いなくこの御方です。というか、日本で混同されたのは武田煕大先輩の記憶違いによるものです。武田先輩は当時、日本からの留学生、更には正式な身分の文化研究者でしたので、緑林(任侠)の世界の方とはあまり御付き合いされていなかったのかもしれませんね。状況を考えれば、「臂聖」張策公との混同はやむをえなかったと思います。当時も今も「酔鬼」張三公とはこの方御一人です。

張長禎公は神秘的なエピソードの多かった御方ですが、ご本人はいたって真っ当な感性の武術家だったようです。当時の新聞記者との取材でのやり取りはとても面白いです。神秘的なことに対しては真っ向から反対しておられます。

張家門は今も伝承者が居られ、近年ではVCDも発売されています。残念ながら、上の写真にも写っている張長禎公のご子息は数年前に亡くなられてしまったようです。
katagiri 2008/04/14(Mon)22:50:30 編集
返信ありがとうございます!
なるほど、ということは張策公は大酒飲みで素行が悪かったということではなかったのですね・・・(もしかして素行は悪かった・・・?)
自分の知るかぎり張策公についての詳しいプロフィール、エピソードなどの情報が日本のメディアで発表されたことはなかったと思うので通臂拳の達人という以外はよく知りませんでした。
たしか「空手と武術」という雑誌の武田煕氏のインタビューの中だったと思いますが、武田氏の通背拳の師匠が張策公のことをよく思っていなくて張策公の通臂拳と同一視されることをさけるために通臂の臂の字を背に変えたという様な内容のエピソード語られていたと思います。
こちらのブログを見るまでずっと「酔鬼 張三」のことを張策公のことだと思っていましたので正しい知識を教えていただきありがとうございました。
張策公の詳しい人物像が日本でも発表されるといいですね。
Tree 2008/04/15(Tue)01:39:42 編集
本当ですね!
Tree様

本当に張策公の詳しいプロフィールが紹介されると好いですね!

ここ近年、通臂の伝承、特に祁門の近代の伝承が明らかになってきております。それらを踏まえて見ると、なんとなく武田煕公の師である賀振芳公の意向もわかる様に思います。張策公は間違いなく一代名人です。人格、実力共に門の内外から認められた方です。ただし代については、同門の間からやや異論があるようです。またその師の経歴を詳細にせず、やや神秘的に師を語ったことにも反発も生まれたようです。もちろんある意味、同門からの嫉妬等も影響していると思われます。それゆえ張公以外が、古名である「通臂」ではなく、自らの武術社の名前に「通背」を用いたことは充分に考えられます。でも、既に過ぎ去ったことなので、我々の世代では今更持ち出すまででもないことかもしれませんね。

噂では老祁派の伝承者クラスが日本にも定住されていると聞きます。私も詳しい情報は知りません。他には、張策公の伝承は弟君である張[吉吉]公の系統が神戸で伝えられているとも記憶しております。名門の日本での発揚光大を願いたいです。
katagiri 2008/04/15(Tue)23:50:42 編集
月刊「秘伝」の今月号にて
何度もコメントしてすいません!でも今日雑誌「秘伝」を読んでいたらちょうどタイムリィーに特集「武道筋2」の中の易筋経の紹介のページで張長禎公のことが掲載されているのを見つけましたので書き込みしました。

かなり前の話になりますが「中国武術」という雑誌の読者投稿というかたちで天津で張[吉吉]公に通臂拳を学ばれた方の修行体験記が掲載されていたのを見たことがあります、私の記憶だとたしか大阪在住の方だったと思いますがkatagiriさんの書かれている方と同じ人だとおもいます。
Tree 2008/04/16(Wed)00:59:58 編集
大歓迎です!!
Tree様

レスのあまりに少ない場所なのでコメントいただけると本当にありがたいです。

まだ今月号の秘伝を見ていないのでじっくりと拝見したいです。すごく楽しみです。

関西の方たちは、張[吉吉]公の徒孫にあたるみたいです。

これからも宜しければたびたびご来訪下さいませ。

それでは。
katagiri 2008/04/16(Wed)23:06:39 編集
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